いのちの授業で伝えたい事‥宇多田ヒカルと繋がる②
前回は、自分の欠けていたピースという話をしました。
これは、私が成長している過程で感じたことなんですが‥‥
子どもの時は、親って絶対的な存在だったんです。
しかし、自分が成長するにつれて、親のダメな所とか、嫌な所とかすごく気になり、なぜ私の両親はこんなんだろうと思っていたんです。
両親は、長男の兄ばかり可愛がり、亭主関白な父は母に発する言葉がとてもきついもので、両親の会話を聞くのが本当に嫌でした。
私には兄が二人いますが、2つ上の兄は高校3年で受験に失敗してから、私のことを避け、10年間まともに話をしてくれないし、目を合わせることもありませんでした。
普通に会話ができるようになったのは、私が30歳になる前です。
私が順調に進学し、小さい時から私と比較されることが嫌だったと思うし、辛かったんだと思います。
しかし、兄にずっと拒否されるというのは、辛いものでした。
私は、どうしてこんな家庭に生まれたんだろう。
私が悪いのか‥‥と悩んだものでした。
そして、自分の社交的ではない性格が嫌で、人前で上手く話せなかったりする。そんな自分も嫌でした。
しかし、その時に、遺伝的に父と母の要素を引き継いでいる部分があるから仕方ないと納得はできたんです。
しかし、親がいない場合は、自分がなぜこうなんだということが納得できないんですよね。
自分という存在を理解できずに悩みます。
また、愛情不足していると感じていると、自分のせいにしたりする訳で、自分が価値のないものとして捉えてしまったり。
心が満たされていないんですよね。
しかし、育児をすることで、大きな愛に気付くことができると思うんです。
当たり前と思っていたことが当たり前じゃなく、いろんな愛の形があることを。
自分で気付く人もいると思いますが、そういうことを子どもたち、そして悩んでいる人に伝えていきたいと思います。
なんだか感想ばかりになってしまいましたが…
最後まで、お読みいただきありがとうございました。