自己肯定で前向き?自己受容でありのまま?どっちがいいの?
アドラー心理学の「嫌われる勇気」を読みました。
その中で、勇気をもらった言葉を紹介したいと思います。
自己肯定と自己受容ということを少し考えたいと思います。
アドラーは、自己受容が大切だといっています。
まず、自己肯定とは、「自分には価値がある」とか、「自分は大切な存在だ」と思う気持ちです。
できもしないのに「わたしはできる」「わたしは強い」など自ら暗示にかけ、自分に嘘をつく要素が含まれています。
では、自己受容とどう違うのでしょうか?
「わたし」という容れ物を捨てることもできないし、交換することもできない。
しかし、大切なのは「与えられたものをどう使うか」で、「わたし」に対する見方を変え、使い方を変えていくことです。
わたしの中の「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極める。
そして、「変えられるもの」に注目し、自分の力によって変えていく勇気をもつことです。
「変えられないもの」を「肯定的なあきらめ」と表現していて、欠点のない人間など誰もいないということです。
「あきらめ」というとネガティブな感じがしますが、元来「明らかにみる」という意味があり、ものごとの真理を見定めることです。だから、悲観的に考えることはないのです。
パーフェクトの人間なんて、いないですもんね。
昔は「好きこそ物の上手なれ」ということわざを信じ、スポーツもしていましたが、ある程度のレベルには達することができても、やはり上には上がいる。
上達するにも限界があるなぁと感じたことがありました。
好きなことでも、不向きなことってありますし‥‥。
でも、やってみないとわからないですけど。
自分の性格、特性をよく考え、何が向いているか‥‥。
そこをよく考えて、やりたいことをやっていく。
これは、子育てにも当てはまると思います。
子ども得意なことを目を向けて、才能を伸ばしてあげること。
そして、アドラーは、「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と断言しているのですが、対人関係のゴールは、「共同体感覚」といっています。
「共同体感覚」とは、他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることです。
そのためには、人を信じるということが必要です。
信じるという言葉には、「信用」と「信頼」があります。
私は、あなたを信用しています。
私は、あなたを信頼しています。
どちらを言ってもらえたら、嬉しいでしょうか?
信用とは、条件付きで信じるということです。
信頼とは、いっさい条件をつけないことです。
相手の人となりを知って、この人は大切な人だ、信頼できる人だと思えたら、疑うことなく信頼したいですね。
でも、ただ信頼するのではなく、相手とコミュニケーションをとらなければ、継続していくものではありません。
言葉にしないと気持ちは伝わらないですから。
人の気持ちは変化するので、やさしさと想いやりを忘れずに、わたしは信頼していることを伝えるのが大切なのではないでしょうか。
でも、信頼している人に裏切られたらどうしようと思ってしまうかもしれませんが、信頼することを怖れていたら、結局は誰とも深い関係を築くことができません。
勇気をもって、人を信頼してみましょう。
信頼することによって、わたしは誰かの役にたっていると思う気持ち、つまり「他者貢献」が自らの価値があることを実感させてくれ、それが幸福感へとつながります。
人から『ありがとう』と言われること。
私の場合は、大変なお産で心身ともに疲れていても、その一言で、パワーがみなぎります!
『ありがとう』の言葉とお母さんと赤ちゃん、そしてご家族の幸せそうな笑顔。
このために、仕事を続けているようなもので、助産師はやめられないなぁと思います。
仕事以外でも、自分の家族の幸せのために貢献できること。
当たり前のことですが、そういったことも幸せだと思います。
小さな幸せに気付くことを忘れずに、そして、自分のやりたいことにもさらに挑戦していきたいと思います。
読んでいただきありがとうございました。